#08 中井裕規さん フリーランスソーシャルワーカー

大学・大学院で心理学を学び、大学の講師のすすめで精神保健福祉士の資格をとり、地域や企業でのメンタルヘルスの支援をしてきた中井さん。大学で心理学を学んだ当初からフリーランスとして働きめる今でも、軸にあるのは「うつ予防がやりたい」という気持ちでした。そんな中井さんのキャリアとは?

小さい頃は建築士になろうと思っていた

子どもの頃はリフォーム屋を経営していたおじいちゃんの影響で建築士になろうと思ってたんです。積み木とかで遊ぶのも好きやったし、学校も理系に入って建築士目指そうと思ってました。

小さい頃は身体も弱くてよく学校休んだり、先生や親、友人は守ってくれてそんなに深刻に捉えてはなかったけどいじめられたりして、中学校受験してちょっと家から遠い学校に通った、ということもありました。

私立の中学校で、片道1時間くらいかけて学校に通ってたんですけど、実家は兵庫県の南の方、ちょっと柄の良くない地域(笑)で、朝早い電車に乗ると、朝から酔っぱらいのおじちゃんが電車によく乗ってたんですよ。

外の景色がよく見える特急電車だったんですけど、ある時、酔っぱらいのおじちゃんに「ぼっちゃん、大きくなったら何になりたいんや」と聞かれたんです。うわ~~とびっくりしながら、「建築士さんになりたいんです」と言ったら、

おじちゃんに「外みてみ。」「こんなに建ってるのにどこに建てるんや」と言われたんです。その時に、「うわ、ほんまや!!」と思ったことで建築士の夢が途絶えました(笑)。学校は中高一貫で、その他に何になりたいと思うものも特になく、アニメも好きだったのもあり声優さんになろうかな、とぼんやり考えたことがあるくらいでした。


精神科医?臨床心理士?

高校2年の時、理系文系分かれるぞ、という時期が転機になりました。私立で、友人の半分以上お医者さんの息子さんという環境だったので、僕も一緒に医学部行くかな~でも医者になりたいわけじゃないなぁ~と悩みました。

その時に、いじめられてた経験を思い出して、自分がいじめられたことではなくて、「この人なんで僕をいじめるんやろう」「この人にはどんな世界が見えてるんだろう?」と、いじめた側の子のことが気になったんです。

それから、心理学の本などを読み始める中で、精神科医を検討したり、テレビコメンテーターで出ているのを見て臨床心理士という職業があるのを知りました。

それで、精神科医や臨床心理士かで悩んでいたら、隣のクラスの先生が「医者の方が儲かるぞ」を言われて、「ほなそうしよう!」で理系を選択しました。でも、どうやら僕はアホやぞと分かってきたんです(笑)。

身近な友人は親が医者という子が多くて、自然と医学部に行くんです。うちの父は福祉職の公務員だったんですが、当時は反抗期もあって父親とは同じ道には進むもんかと思っていましたし、そんなに裕福でもなかったので国公立の医学部しか選択肢がなく難しいなぁと感じていました。

そこで、AO入試うけよう!と思ったんですが、評定の基準に0.1とか0.2足りなかったんです。そこで先生に泣きついたら、「AO入試で受かるやつは普通に勉強したらできるんや!」とはっぱかけられたにも関わらず、逆に完全に医学部への心が折れて、文転することにしました。

臨床心理士を目指すことにして、関西大学社会学部の心理学専攻に入学しました。


コミュニティ心理学との出会い。そして精神保健福祉士として「うつ予防」で誰かの役に立ちたい


関大社会学部は福祉の専攻がなく、マスコミ専攻(現メディア専攻)が有名ですが、学んだのは社会学部の中の心理学科だったんです。臨床心理士になるぞと勉強していたんですが、一般就職する社会心理学コースと大学院に行く臨床心理学コースにゼミが分かれていて、大学院に行くコースはゼミが限られてて選考があったんですが落ちてしまったんですよ!臨床心理士になりたくて入った学校やったのに!

でも、その時、個人の内面に着目する臨床心理学には違和感があって、コミュニケーションとか地域援助なんて科目はあるけども、その時の僕の知識のレベルではなんとなく個人の内面ばかり大学の授業で見てるように思ったんです。

そんな時「コミュニティ心理学」っていうのを知ったのが大きなきっかけになりました。それを書いた先生が社会心理学出身の先生だったので「このまま社会心理学のまま大学院に行こう」と決めました。

大学院で研究する中で、うつ病などに詳しくなるうちに、「病気になりたくないな、自分は」「病気にならない方法を研究しよう」と思って所属するコミュニティでの関係性とうつ病の関係をテーマに研究していました。

その中で研究してても自分は賢くなるけど誰の役にも立たへんな、と思ったんですよ。

グループワークでうつ予防の研究をする臨床心理士の先生の研究手伝いもしていたんですが、そこでも現場に還元していきたいなという想いが強くなってきたんです。

でも、臨床心理士になれないんですよ。なんの資格もないし、就職もできない・・・?と焦りを感じていた時に、精神科医の講師の先生に相談すると、「精神保健福祉士っていう資格があんねん」「クリニックデイケアがボランティア募集してるから行ってみたら?」と言われて行ってみたのが精神保健福祉士との出会いでした。

デイケアの精神保健福祉士は、最初は遊びながら仕事しているように見えたんですよ。アホなんですけど(笑)遊びながら仕事になるのか!めっちゃいいやんと思って大学院を辞めて専門学校に行って精神保健福祉士を取ることにしたんです。

父親は社会福祉士なので、同じ方面にくるのね、ええんちゃうみたいな感じで、母親は老人ホームを運営している施設の経理のパートしていて「素敵な仕事やね」と思ってくれていたらしいです。

精神保健福祉士の専門学校では、国試の勉強をしながら実習に行き、就職活動もしました。コミュニティでうつ予防をするために産業分野に行きたいと思っていたんですが、専門学校の先生からは「そんな求人はなかなか出んよ」と言われたんです。

じゃあそこに近いのは就労移行、就労継続支援A型,デイケアか・・・その中就Aをやってる株式会社に内定をもらいました。就Aで5年働いてサビ管とって給料上げて引く手あまたになるぞ!と思っていたけど、雪のふる冬の病院実習の終わりに、内定いただいた会社から着信があって「ごめんね、実は君を雇うつもりやったのは新しい施設の管理者の候補にしようと思ってたけど建たへんくなった」と言われて、2月からもう一回就活を始めました(泣)。

2月にもなると自分の希望通りのところに決めるのは簡単じゃないなと思って母親に相談したら「あんたコミュニティがいいとか行ってたやん。コミュニティって何なん?」と声をかけてくれて、「こんな求人あるよ」と母親が持ってきた求人が社会福祉協議会の求人でした。

社協の嘱託職員として社会人をスタートして、社会福祉士、保健師などの資格がないとそこでは正社員になれないと分かり通信で社会福祉士を取りました。その時に、いずれ産業領域でうつ予防もやりたいと思って産業カウンセラーも同時並行でとりました。


企業と個人に「うつ予防」を広めていく


社協で正職員になって地域包括に異動もした頃、産業カウンセラーの勉強会に出ていたら経営者の方からストレスチェックできるならうち来ないかと声をかけていただいたんです。そこではじめてEAP(メンタルヘルス不調の従業員を支援するプログラム)を実施する企業へ転職し、産業保健分野の支援を始めることができました。

ダンスインストラクター時代を拡大表示

コロナ以前に、いきいき放課後事業で地域の子どもたちの健全育成に関わってダンスインストラクターとして仕事もしていました。

小さな会社だったので、営業や総務の仕事もやって、会社の組織運営も勉強させていただきましたね。ただ、専門職としての仕事が少ないな…どうしようと先輩とも相談していた時に、プライベートで結婚し、その後妻の妊娠が分かり、2回目の検診で双子が分かり、「うそ~!!」と育休は元々とろうと思っていたけど、社長に無理いって、とりあえず2ヶ月育休をとりました。

子どもたちは極出生体重児という普通の赤ちゃんの半分以下のリトルベビーでした。身体の弱さだけでなく医療的なフォローアップもこまめに必要で、育休中はボロボロで、すごくハードな双子育児がはじまりました。この育児とサラリーマンは両立できないと感じ、退職させてもらって、2021年1月~フリーランスとして働いています。

双子1歳誕生日を拡大表示

今はEAP関連での仕事を受けながら、個人向けのカウンセリングなども行っていますが、独立したことをきっかけに自分個人での活動もやりたいなと思っています。やっぱりこれからも「うつ予防」をやっていきたいです。

うつ予防に関して学んで行く場、リフレッシュグループ?リフレッシュセミナー?みたいなものもどこかでできたらいいですね。

また、双子育児を始めた中で双子育児の当事者としても、多胎家庭のサポートをライフワークとしていきたいなとも思っています。

中井さんの活動ホームページ

▶大阪心理カウンセリング喜び


▶中井さんの転機になった1冊
コミュニティ心理学 ナカニシヤ出版 コミュニティ心理学入門

うつ予防なので疾患を治療するための臨床心理学じゃなくて、でも社会問題を解決する社会心理学とも違うと感じる中で、人間関係の中にいる個人という僕のイメージに「これだ!」と思った1冊です。