
岡江さんは、大学卒業後、就職した病院第一号のソーシャルワーカーとして入職。右も左も分からない中、職能団体に所属して学んだり、他病院のソーシャルワーカーや他職種とネットワークをつくったりしてきました。
医療ソーシャルワーカーとして、個別の支援だけではなく、がんの患者やその家族が川柳を使って気持ちを表現する「がん川柳」というプロジェクトや、「終活」をテーマにしたエンディングノートの普及、講演会や専門誌の執筆など、地域や社会へソーシャルワークを展開しているパワフルに活動するソーシャルワーカーです。
また、実践だけでなく、福祉大学でSW学生さんに対してソーシャルワーク教育を行ったり、数年前に大学院で修士課程を修了し、現在大学院の研究員として研究も行っているソーシャルワーカーです。
ー岡江さんは、病院の医療ソーシャルワーカーとしてだけではなく、地域を巻き込んだアクションをされたり、アメリカでのソーシャルワークの学び、ラジオでソーシャルワークの話をされたり漫画化も(!)されていて、もはやどこからお伺いしたらよいのやらと思っています(笑)。
確かに、自分のキャリアのきっかけって一言でいうのは難しいけど・・振り返ったらあれもこれもポイントだったなというのがたくさんで(笑)
今思えば、最初に入職した病院の上司と、病院の外(地域)に目を向けたことが大きかったと思います。
病院第一号のソーシャルワーカーとして入職したとき、「ソーシャルワーカーって何する仕事なん?」と聞かれて、何が専門性で、何が存在意義なのか、明確にまた自信をもって他専門職へ伝えられなかったんですよね。
クライエントから見ても、例えば、けがしたら病院に行くけど、生活に困った時にソーシャルワーカーに相談に行くか?というと、そうならない。それ以前にソーシャルワーカーを知らない現状。ソーシャルワーカーとは何ぞやを、伝えていかなければいけないと思いました。
伝えるためには知識と技術が必要で、そのためには勉強せないかんわ、となったんです。
地域と繋がったことで、キャリアも繋がっていく
職場に1人ソーシャルワーカーで、自分じゃわからないから、地域の医療ソーシャルワーカーに聞いたり、社会福祉士会や医療ソーシャルワーカー協会に入って、そこで知識と技術を高めたりしていきました。
今思えば、院内で初代のソーシャルワーカーで、院内に教えてくれる人がいなかったのがよかったです。組織内だけいても絶対に無理でしたので。
自分から学びを取りに行くことによって、知識、技術を高めると同時に、繋がりができる。
研修会に行くと、勉強だけじゃなくて繋がりもできたんです。そこで色々なソーシャルワーカーや他専門職の人と話すことによって、自分の実践が客観的に見えました。
また、そのころ、お世話になった採用してくれた事務長が言ってくれたことを、今でもよく覚えています。
「新人の時に、失敗しろ。責任は上司がとるんだから、新人の時は新人のせいではなく組織の責任になる。でも、これが10年後どうなるかってお前のせいになる。新人のうちに沢山チャレンジして、上司のせいしていっぱい失敗してチャレンジしろ」
と言われて、チャレンジするのが怖さより、楽しくやれたんですね。そこで0から1にする楽しみを知りました。この言葉の影響は本当に大きいですね。
まず新人の頃仕事をする上で大切にしたことは、1つ1つのケースを丁寧にそして結果を出して、組織の中で信頼を得るようにしました。
自分なりにそのような行動を続けるうちに、今までは何でソーシャルワーカーいるの?くらいの存在だったのが、業務を依頼されたり、岡江さんへ相談したいんだけど、つかまらないからPHS持たせるぞ、と持たせてもらったりするようになり、自分だけでなく周りの環境も変化していったなーと思います。同時に地域のケアマネさんとか他病院のソーシャルワーカーからも信頼を得ていって、2~3年目で地域のコミュニティを構築していきました。
就職した当時は、組織や地域の中においてはソーシャルワーカーの存在は0だったけど、繋がっていくことで1になって、また1から2~へと継続した繋がりが地域のコミュティが強化され、結果的に地域での様々なソーシャルアクションにつながっています。
こうした最初の頃の経験が、今につながる成功体験ですね。ソーシャルワーカーは、ないものを創造していく仕事だと思っているんですが、チャレンジすることの怖さよりもワクワクするような実感を新人の頃から積み重ねてきたことが大きかったです。
人に伝えることは、学び続けること。そして偶発的な繋がりができる
地域での多職種連携のネットワーク作ったんですが、当時は今ほど地域連携も進んでおらず、先駆的だったんです。そのネットワークができたことで講演依頼も受けるようになりました。
でも、人に伝えるためには、自分の実践を根拠に基づいて整理していないといけない。ここでまた学び続ける必要性を感じて、伝える方法も相当勉強しました。
プレゼンテーションに関しては、本もたくさん買って読んだり、一般企業の研修会に参加してプレゼンテーションのトレーニングを行ったりしました。異業種の人からの学びも取り入れました。

他にも、ソーシャルワーカーの役割や社会での立ち位置などを調べた時に、アメリカではソーシャルワーカーという職業が広く知られていて、ソーシャルワーク理論・アプローチを用いて根拠ある実践をしていることを知り、アメリカへ勉強にも行きました。
そこで繋がったアメリカのソーシャルワーカーたちとも継続して情報共有していて、日本で行ったがん川柳の活動に注目してもらい、アメリカで学会発表する機会を得たこともあります。アメリカのソーシャルワーカーの前で学会発表した後に、拍手喝采そして高い関心をもってもらったことは、自己肯定感が高くなりました。数年前では予想もしていなかったことですけどね。
キャリアでいうと、ハップンスタンスセオリー(選択的偶発性理論)やプロティアンキャリア理論がすごく自分に当てはまると思いますね。
ー今でも幅広く活動されている岡江さんですが、今後やっていきたいことはありますか?
自分にとってソーシャルワークは、ワークアズライフなんですね。もちろん仕事でソーシャルワークしていますが、一方、仕事以外でも知識・技術の向上するためのインプットや講演等のアウトプットをしており、自分にとってワクワクしながらソーシャルワークをしており、もう趣味なような感覚があります(笑)。
仕事では組織の一員なので、もちろんできること・できないことがありますが、だからといって諦めるのではなく、逆に仕事以外の場所で挑戦的にアクションすればいいと思っています。そのアクションした経験をまた適切なタイミングで仕事へフィードバックしています。仕事であろうが、仕事以外であろうが、資本の蓄積をしている体は一つであり、ワークとライフを分ける感覚がありません。
また、自分のソーシャルワーカーの理想は、「実践」と「研究」と「教育」を総合的に行うことができる専門職なんです。
これまでも、実践だけではなく、組織内スーパービジョン体制や大学教育にも携わらせてもらったりして、実践や教育を質の向上は継続して行ってきて、今は特に研究の能力をもっと高めたいと思いが強くあります。大学院修士は取得していますが、より自分がやっていくことを科学的に明らかにしていきたいです。
これからソーシャルワーカーがしなければならないこと
自分が就職したときは、病院にMSWは一人や少人数でしたので、組織外のソーシャルワーカーと繋がり、切磋琢磨しながら専門性を高めていきました。
今は以前と違って職場に複数MSWがいる場合も多くなっていて、そのこと自体はすごく嬉しいことなのですが、一方、組織内で留まっているソーシャルワーカーが多くなったような気がします。職能団体に所属しない、業務外において組織外とのネットワークを作らない、結果インプットやアウトプットもしないソーシャルワーカーが増えている現実を知ると、専門職として非常に危機感さえ感じます。
『私はなぜソーシャルワーカーになったのでしょうか?』
『私は将来どのようなーシャルワーカーになりたいのでしょうか?』
『私はどのような社会を実現していきたいのでしょうか?』
私たちは今、自分のキャリアについて向き合わなければならない時期かもしれませんね。
(岡江さん:)大学院時代に熟読した本。ソーシャルワーカーとしての根幹を作ってくれた一冊
・人ー環境のソーシャルワーク実践 対人援助の社会生態学