#10 稲岡由梨さん 相談支援専門員/社会福祉士(前編)

地域で18年、障がい福祉を中心に就労支援や相談支援をしてきた稲岡さん。職能団体では研修担当をしたり、区では支援者ネットワークを作ったりと活躍されています。そんな稲岡さんとこれまでのキャリアと今後をお伺いしました。今回は前編です。


ボランティアを通して選んだ「障がい分野」


元々、高校生の時から福祉を勉強したいなと思っていました。高齢化社会だから就職が安定してるかな、という単純な理由だったんですけど(笑)迷わず資格をとるために大学に行きました。


でも、福祉といっても、行政・障がい・高齢・・・と対象が広すぎる!どの分野で働くか悩み、ボランティアで母子生活支援施設や、高齢者分野は特養、自閉症の子どもの運動サークルなどに行ってみました。


特に印象に残ったのが、「障がい児の余暇を考える会」でした。お子さんだけではなく、親御さんとかかわることも多くあり、その中で「年に1回、ボランティアさんとの飲み会だけを楽しみに生きてます」と言ったお母さんがいたんです。


「えぇ!?年1回??この飲み会だけがお母さんの息抜きなの??」と衝撃を受けました。


重度の障がいのあるお子さんがいると、親が周りの力を借りずにこんなに頑張らないといけないんだな、という現実を知った瞬間でした。こんなんでいいとかな、お母さんたちはお母さんたちの人生があっていいはずなのに…とそこをサポートする支援がしたいと思いました。


他にも、成人している障がい者の方の余暇支援で、ご家族はなかなか連れていけない旅行にも行ったり、障がい者施設のワークキャンプに参加し、1週間施設に泊まり込んで作業体験や保護者の話を聴いたり、勉強会に参加したりもしました。

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ボランティアしてみて、自分に合ってると思ったのが障がい福祉でした。大学の実習も障がい福祉を希望して、入所施設の実習で印象に残ったことがありました。パニックになって暴れる利用者さんの両足を持って個室に入れる対応を目にしたことです。

ここで暮らして幸せなんかな・・・?ご飯食べる時間も決まってるし、お風呂に入るのは週に3回。果たしてこれは普通の生活なのか?意思決定の機会はどれだけあるのか?と違和感を感じ、こういう施設で暮らしている人たちがいるという現実を知りました。

ボランティアや実習を通して、障がい福祉は、障がいゆえに、人生経験不足や選択の機会のなさ、色んなことを知らずに人生を過ごすことが多いという課題を知って、これからの人生をどう豊かに過ごしていくかのサポートがしたいと思うようになりました。家族とのかかわりの影響が大きかったですね。

ただ、当時は障がい分野の求人はほぼありませんでした。行きたい施設に顔を売っとくといいよ、と言われ、知人が働いていた働いていた地元の作業所でボランティアをすることにしました。

作業も外出も介護もする施設で、どんなに障がいがあっても働く、社会に出ていくんだ、という理念を掲げているところでした。職員さんたちが小綺麗にして楽しそうに働いてたのもいい印象でした。支援者ー利用者という感じがあまりなくて、一緒に社会参加していこうという感じ。そういう雰囲気が伝わってきて、私たぶんここで働くなと思ったんです。

ただ、当時無認可作業所で、採用枠がないと聞いていましたが、たまたま枠が出て、卒業式の前日に採用連絡をいただけました。


利用者さんが力を発揮できる機会をつくる


重度障がいのある方も多く、知的障がい、脳性まひなどの身体障がい、精神障がいなどの方の支援をしました。雑貨やお菓子づくり、外出支援、イベント運営なども担当させてもらいましたね。

近くの大学の大学生と写真をとるワークショップをやってみたり、ボランティアを集めてキャンプしたり、フィットネスクラブのインストラクターさんに来てもらってワークショップを開催したりもしました。

その中でも、就労の作業、特にお菓子をつくる作業を担当することが多くなりました。

あるとき、注文がなくて作業がなくて暇だったんです。利用者さんは20人くらいいるのに仕事がない。午前中に注文が来ていた作業が終わってしまって、作業を埋めるためにゆっくり進めたりしていたんです。

それにすごく違和感を感じて、上司に相談したら「営業に行ったら?」と言われました。その当時は、「えぇ、福祉なのに営業?」とピンとこなかったのですが、「仕事を生み出すのも福祉の仕事」と上司に教えられやってみることにしました。

最初はミッキーのTシャツとスニーカーで(笑)いきあたりばったりに企業への飛び込み営業に出かけました。当時24歳くらいの頃でしたが、「注文してください!」→こない、という状況。「障がい」という言葉を出すだけで断られたりもしました。社会の冷たさを感じました。

勉強しなければ、と営業の本を買ったり、営業職の人に聞いてみたりして、「この人が言ってるんだったら応援しようかな」と思ってもらえることと、商品の魅力を伝えることをやってみました。

まずは見た目から。ジャケットを羽織って、自分が何を伝えたいか説明できるファイルを作りました。あまり「障がい」という言葉は出し過ぎず商品の魅力を伝えるようにする一方で、私たちの活動を知ってもらえるような内容にしました。すると、少しずつ注文が増えてきたのです!1回注文してくれるとリピートしてくれたり、大手の企業さんから大量注文がくるようになり、モチベーションが上がりました!

利用者さんもだらだらとソファで過ごしてた女性が、シャキッと仕事に取り組むようになり、人は「役割」があることでこんなに変化するんだと実感し、自分自身の成功体験にもなりました。

少しずつ販路も拡大し、工賃も2万3万と上がり、カフェを作ったりスタッフもイキイキ働いていたその頃、市で工賃向上の一環として、色んな施設の商品を販売するアンテナショップをつくろうという話がありました。

福岡市の委託で公募があり、受託。私はそのお店の責任者になり、お店の内装から取引事業所とのやりとりまで担当し、オープン。就労継続支援B型の施設外就労としての店舗運営と就労支援でした。

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約9年間を振り返るとかなりハードな環境でやってたなとも思います。


続けることができたのは、利用者さんと成長していくのが純粋にやりがいがある9年だったからです。また、この活動が私にとっての「ソーシャルワーク」の始まりだったような気がします。

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福祉サービス事業所の手作り商品という媒体を使って、企業やお客様にアプローチすることで、障がいのある方の仕事おこしをして、就労につなげていくこと、障がいのある人の就労について少しだけ知ってもらうことで、社会とのつながりが生まれ、応援団が増えていくこと、にワクワクしていました。

後編に続きます!